小田ときとが歩けるって本当?波乱万丈な生い立ちを紹介!

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小田ときと選手はプロ車椅子テニス選手で、4大大会の全て準優勝を経験していて世界ランキング1位になったこともあります。

小田ときと選手はプロ車椅子テニス選手として活躍していますが、歩くことができるのではないかとされているようですね。そんな小田ときと選手はどんな人生を歩んできたのでしょうか。

そこで今回は、小田ときと選手が歩けるって本当なのか、波瀾万丈な生い立ちを紹介します。

目次

小田ときとが歩けるって本当?

イケメンとしても注目を集めている小田ときと選手ですが、歩けるという噂は本当なのでしょうか。

プレー中は車椅子に乗っている小田ときと選手ですが、歩けるという噂は事実のようです。ただ、多くの人がイメージしているようにスタスタと歩くことができるわけではなく、杖を使って、短時間で短い距離であれば可能であることを明かしています。そのため、小田ときと選手が歩いているのはリハビリ目的でもあるようです。

では、小田ときと選手はどんなときに歩いているのでしょうか。

人目がない自宅など

小田ときと選手は、2023年12月に出演したメ〜テレ名古屋テレビの番組で人目がない場所や自宅などで歩くようにしていると明かしました。

小田ときと選手が歩くようにしているのは、全く歩かないと筋肉が衰えてしまったりするからだそうです。小田ときと選手はアスリートなので、そういった部分でケアをするようにしているのかもしれないですね。

また、小田ときと選手の自宅には卓球台が設置されているそうで、卓球をするときには立って行なうそうです。

小田ときとの波瀾万丈な生い立ちを紹介!

今や日本が世界に誇るプロ車椅子テニス選手になった小田ときと選手ですが、どのような人生を歩んできたのでしょうか。

今は多くの人から注目されるなどスポットライトを浴びていますが、これまでの道のりは決して簡単ではなかったと思われます。

それでは、小田ときと選手の波瀾万丈な生い立ちを詳しくみていきましょう。

最初はただの筋肉痛?

小田ときと選手は小学生の頃からサッカーをしており、初めて足に痛みを感じたのは小学生2年の3月頃でした。最初は、小田ときと選手も両親もサッカーの練習のせいで疲れが溜まっているだけだと思っていたそうです。しかし、いつになっても足の痛みは消えることがなく、段々と激しくなっていったと語っています。

そして、2015年6月に小田ときと選手は初めて整形外科クリニックで診察を受けますが、大きい病院に行くことを勧められました。

そして、次の病院でも同じことを言われ、小田ときと選手は名古屋大学医学部附属病院で診察することになります。

紹介状から病名を

大きい病院を受診する際には紹介状などが書かれますが、小田ときと選手の母親は宛名を目にして病名を調べたそうです。

そして、インターネットで調べた結果、小田ときと選手の母親は骨肉腫なのではないかと考えますが、重くないことを願い病院を受診します。しかし、病院を受診した結果、小田ときと選手は左股関節の骨肉腫であることが判明しました。胴体と足を繋ぐ関節部分に腫瘍ができてしまったため、小田ときと選手はすぐに入院することになり、そこから抗がん剤治療が始まります。

副作用などが発生

多くの人が知っているように、癌などの腫瘍の進行を抑えたり、小さくするための抗がん剤は効果がある分、強い副作用が発生してしまいます。小田ときと選手にも副作用が発生してしまい、強烈な吐き気が何日も続き、髪の毛が抜けてしまいました。

ただ、そんな辛い治療にも小田ときと選手が耐えられたのは、大好きなサッカーをもう一度したいという思いがあったからです。

人工関節を入れる

入院してから3ヶ月後、小田ときと選手の腫瘍は抗がん剤治療のおかげもあって小さくなり、手術を行なうことができるようになります。小田ときと選手が行なった手術は12時間に及ぶもので、腫瘍のできた骨を取り除き、人工関節を入れるというものでした。

ただ、メスが入る部分は左脇腹から太股辺りまでで、手術して傷ついた筋肉を補強するのに必要なことだったそうです。

小田ときと選手の手術は無事に終わりましたが、それからのリハビリもかなり大変でした。

足が曲がらない

手術後の抗がん剤治療も行いながら、小田ときと選手はリハビリをするようになりました。しかし、ベッドの上で上体を起こしたり、体の向きを変えたりするだけでもかなり苦労したそうです。そして、小田ときと選手は足を曲げようとした時に鋭い痛みが走ることに気づきました。

しかし、これから生活をしていくためにはこの痛みを乗り越え、少しずつ動かしていかなければなりません。

遂にサッカーを諦める

プロサッカー選手になることを目指していた小田ときと選手ですが、思うように体を動かせないうちに1つの決断をすることになってしまいました。小田ときと選手はリハビリをしているうちに、もう1度サッカーをしたら足が壊れてしまうと感じ、諦めることを決意します。

幼少期からサッカー選手になることを目標に頑張り、大変な手術やリハビリにも耐えられたのはもう1度ボールを蹴るためでした。しかし、そういった気持ちを持っていた小田ときと選手がサッカーを諦めたのには、想像を絶する苦しみがあったのではないでしょうか。

入院中に車椅子テニスに出会う

小田ときと選手が車椅子テニスに出会ったのは、入院中のことだったそうです。主治医から様々なパラスポーツがあることを教えられた小田ときと選手は、動画サイトで車椅子テニスを見た時にビビッと来たため、競技を始めることにしたと語っています。

ちなみに、小田ときと選手が見た車椅子テニスの動画は、2012年のロンドンオリンピックの国枝慎吾選手の試合だったそうです。

プロ転向してすぐに年間王者に

車椅子テニスを始めた小田ときと選手は、18歳以下の世界一を決める2020年のCruyff Foundation Junior Mastersに14歳で出場し、シングルスとダブルスで2冠を達成し、史上最年少でジュニア世界ランキング1位になりました。

そして、2022年4月4日に東海理化と契約を結び、28日にプロ転向を果たします。さらに、2022年11月6日に行なわれた車椅子テニス年間王者決定戦のNECマスターズで優勝し、史上最年少世界年間王者になります。

まとめ

今回は小田ときと選手が歩けるって本当なのか、波瀾万丈な生い立ちを紹介しました。

小田ときと選手は9歳という若さで病気を発症し、辛い手術やリハビリを乗り越えてきます。しかし、大好きなサッカーを諦め、新しいことにチャレンジしたメンタルの強さなどが小田ときと選手を支えているのではないでしょうか。

小田ときと選手はまだ19歳と若いので、これからの活躍に注目していきましょう。

カイト
スカッシュの森 運営部
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