なんと!!
今回はプロスカッシュ選手、スカッシュ日本代表である小林僚生選手に寄稿をして頂きました!
小林僚生選手をもっと知って頂きぜひ皆さんで応援しましょう。
ひいては日本でのスカッシュの盛り上がりにもつながりますので…!
ではじっくりご覧ください。
小林僚生選手のこれまで
- 年齢:24歳
- スカッシュ歴、始めた理由:17年、父親の趣味
- 13歳の時からU19日本代表メンバーとして多数の国際ジュニア大会に出場
- 2012年全日本選手権優勝、世界ジュニア団体戦6位(24カ国中)
- 最終学歴:ロチェスター大学ビジネス選考、2017年卒
- リーダー経験:ロチェスター大学で3年間チームキャプテンを務めた(内、2年目はチーム過去最高成績の全国2位)
- 企業勤務経験:アマゾンジャパン(2017/8~2019/2)
- 2018年アジア競技大会代表
- プロ選手経験:2019/2~現在
- 現在、私はスカッシュの日本代表選手として海外プロツアーを転戦しています。
現在、私はスカッシュの日本代表選手として海外プロツアーを転戦しています。
世界的に、特に日本ではマイナースポーツなスカッシュですが、そんな競技だからこそコミットすることで沢山の貴重な経験を得る事ができます。
この記事ではスカッシュ選手だったからこそ得られた経験をシェアしたいと思います。
スカッシュの出会い〜現在まで
スカッシュと出会ったきっかけは父親の影響で、7歳の時に父と姉と3人で近所のスポーツクラブで始めました。
両親の熱い応援もあり、気がついた時には家族全員でスカッシュにのめり込んでいました。
当初父はよく私と姉に
「マイナースポーツに専念するなら国内ではトップにならなければいけない」
と言い、少なくとも自分は理由なんて考えないまま大好きなスカッシュに打ち込み、私たちは始めて数年後から常に年齢別で1位になりました。
この様な形で始めたスカッシュに気づけばもう17年間も打ち込んでいます。
ジュニア時代
9歳の頃から主にアジアとイギリスへ海外遠征を重ね、13歳の頃からU19日本代表に選んでいただき、その後は毎年恒例のジュニア大会に加えて国を代表するアジア&世界ジュニア選手権にも出場できる様になりました。
小学6年生の時には、スカッシュの為に一年先に単身でマレーシア・ペナン島に留学していた姉の後を追い、その後3年半私もペナン島に留学しました。
子供が大人になるまでの過程で特に大切な中学校3年間をペナン島のローカル学校で過ごした為、私は日本語の読み書きやその他一般的な知識が劣ってしまいましたが、その分第2言語や海外で生活する上で必要不可欠な自己推進力などを養う経験を得る事ができました。
その後高校は横浜の公立校に帰国子女生として進学し、ジュニアの最後3年間は日本で過ごしました。この期間中はシニアチームの代表でもあった為、アジア、ヨーロッパ、中東、北米、南米など年に8~10カ国ほど海外遠征に行かせていただいてました。
海外遠征の際はペナン島で習得できた英語のお陰で、毎回新しい友達を数十人単位で増やす事ができ、私のネットワークは急激に世界中へ広がっていきました。
ジュニア最後の年、2012年には運にも恵まれ、
- アジア最高峰のジュニア大会のミロオールスタージュニアU19優勝、
- 万年下位グループであった世界ジュニア団体戦では過去最高順位の6位、
- 全日本選手権で優勝(当時の最年少記録更新)、
US Jr Openでは5位になりロチェスター大学を始め、ハーバード、イエールなどの大学5校からスカウトをしていただき、高校卒業後の進路を固める機会も得る事が出来ました。
2013年の春には同年8月〜ロチェスター大学にスカラシップ100%(授業料約500万円/年が無料)の条件で進学する事が決まり、とても良い形でジュニア生活を終える事が出来ました。
大学時代
NY州の北にあるロチェスター大学に進学しました。
大学世界ランキングで実は毎年90〜100位くらいの学校で、こんな自分が好条件で入るのは申し訳ないくらいの気持ちでしたが、その分部活のスカッシュで結果を残して学校に恩返ししようと必死に過ごした4年間でした。
それまでスカッシュばかりやっていて、特に勉強に励んだ事がなかった私自身と当時の英語力ではレクチャーや課題の内容を理解する事さえ困難で、人生で初めて毎日勉強に何時間も費やす慣れない生活から大学一年目が始まりました。
- 成績が悪いと簡単に留年コースになってしまう、
- スカッシュチームをクビにされる、
- スカラシップが無くなってしまう、
- 就職活動に影響する、
などのプレッシャーと常に対面しながら過ごした最初の3年間を振り返ってみると、これはこれで最高な経験だったと思える時間でもありました。
スカッシュについては、大学の施設でチームメイト10数人たちと、世界元4位のMartin Heathコーチの元で毎日練習ができるという、日本とは比べものにならないほど良い環境下で選手生活を送れました。
コーチのテクニックの教え方は格別で、特に彼のラケット捌きは一目で次元が違う事が分かる程のスキルを持つ人です。
米大学の試合については、9人制の団体戦で他校と対戦する形式です。
11~2月末までのシーズン中は、シーズン最後の全米大学選手権のシード争いをする為に他校とホーム或いはアウェイで対戦していました。
ホーム戦の時には大学の友達やローカルのスカッシュコミュニティから多い時は100~150人ほど応援に来てくれ、試合を常に盛り上げてくれます。
逆にアウェイの時は、どの対戦校からも遠いロチェスターは週末にチーム全員でバスで片道5〜6時間かけて遠征します。
卒業生の寄付金で大学全体の活動が回る仕組みになっているアメリカでは、遠征の際は全費用を学校が負担、更には4年に一度チームを海外遠征にも連れて行ってくれるほど充実したプログラムで回っています。
2年生からの3年間は約10カ国から成る多国籍チームの主将を務めました。
多国籍で個性が強く現れ、スカッシュに対する目標が全員一致するはずのない中、リーダーとしてどの様に皆を常にモチベートさせていけるか、
そもそもリーダーとはどの様な存在であるべきなのか?
試行錯誤を続けるうちに3年生の最後、全国2位という形となって現れた答えは「目標は行動で示す事、機嫌が悪くても外に出さない事、全員とフェアに接する事、何でも話せるやつである事」でした。
最後の年には、主に主将を務めた経験が重宝されアマゾンのオペレーション部門に就職が決まり、シーズン最後には大学スカッシュ協会からリーグ最優秀選手賞も贈っていただきとても充実した形で卒業を迎えられました。
1年半の会社員生活
就職したのはアマゾンジャパンだったものの、アメリカでの採用であったため形式上は本社の社員として入社しました。
採用プログラム上、最初の半年はアメリカの物流センターに務め、その後日本に異動する形で社会人生活が始まりました。
私が務めたカリフォルニアと小田原の拠点はどちらも国内最大級の規模で、繁忙期には一度、カリフォルニア拠点で約100万点/24時間、小田原拠点で約70万点の商品を発送する記録を叩き出したこともありました。
私の仕事は入荷〜出荷までにあるプロセスの内の一つの管理人としてオペレーションを円滑に回すことでした。
これはカリフォルニアでも小田原でも形式上は同じ役目だったのですが、USでの作業者はアマゾン直雇用の社員、日本での作業者はサードパーティ企業であったため、実際に熟す仕事内容は全くの別物でした。
USでは18~60歳までの約50人の作業者が自分の元で部下として働き、自分は彼らの安全性、品質、生産性と出荷プロセスの管理をする事が毎日のタスクで、正直ゲーム感覚で常に試行錯誤を繰り返していく事ができとても楽めた仕事内容でした。
一方、JPではアサードパーティ企業がオペレーションを回せる様にアマゾン社員が現場の環境を管理し、彼らが我々が求める事ができているかを確認する様な仕事内容で、正直これは自分に全く合いませんでした(笑)
それでも、一度USの新機能をJPに導入するプロジェクトに携わる時期などもあったため、務めた1年半の間からは全体的に費やした時間以上のリターンを得られたと思います。
プロ選手生活(現在)
日本では練習環境が全く整っていない為、なるべく海外で過ごすようにしています。
現在特にトレーニングベースと呼べる場所は確保していない為、大会期間の前後数週間はその国にいるプロたちの練習に混ぜてもらっています。
プロ生活では常に短期的と長期的な目標があり、頻繁に知らない地に足を踏み出したり、試合ではトレーニングの成果を出せるかを試す事の繰り返しです。
上手く行かない時の事も含めてとにかく生きてる感が半端なく、毎日楽しい限りです。
年末まではこの様な形で色んな国を転々とし、プチ世界旅行もする選手として活動します。
来年はフランスにベースを置き、主にヨーロッパの大会に出場する予定です。
プロスカッシュ界の現状
プロの世界は他のメジャースポーツに比べてとても少ない金額で機能しています。
男子選手が賞金だけで生活していくと考えたとき、最低でも世界ランキング30位以上(約550人中)でないとフルタイム選手として生活していけないような競技です。
選手引退後、コーチとして自国以外でも活躍できる、この世界でのいわゆるグローバル人材になるには世界に名を残す必要あるため更に上のランキングを達成しなければなりません。
最低でも15位以上というところでしょうか。
もちろん、例外はありますが。客観的に見て明らかに厳しい世界です。
それでも私がプロになった理由とモチベーション
正直、プロ生活は完全に自己満足です(笑)
これまで約20ヶ国へ遠征、3年半マレーシアへ留学、全日本優勝、米大を卒業、世界一の企業に就職、と僕は常にスカッシュに背伸びをさせてもらっていました。
大学卒業後にプロにならず就職する事を決めたのも、もうスカッシュには充分お世話になったからです。プロの世界は上で述べた通りですし。
殆どの同年代より2倍以上の収入もあり(業務内容はあまり好みではなかったものの)、頑張って働いて昇り詰めれば一般的には裕福な暮らしが出来る事はわかっていました。
しかし、会社に勤め始めてから1年が経った時、ちょっとだけスカッシュが恋しくなった自分がいて…
「これから40年間仕事するのはいいが、自分が本当にやりたい事、今しかできない事、やらなかったらいずれ必ず後悔する事をまずやるべきではないか」
と考えるようになりました。
しかし自分的には、この歳からプロ世界のトップに立つのはほぼ100%不可能だと理解していたので、プロ活動は新しいキャリアとしては主観的に受け入れられないものでした。
ならどういうモチベーションでプロになるべきか?
人生の価値観と照らし合わせて色々と考えていくうちに、自分にとってベストな期間は短すぎず、無駄にする時間も一切無い2年間と決めました。
だから実際のところ、僕は2年間のプロ生活が終わる時に80位でも、60位でも、何位でも良いと思っています。
15位以上に入れない人たちの多くが引退後苦労してしまう世界なので、その競争には元から参加せず、自分にとって数字なんかよりももっと大切な「時間」を楽しむ2年間にしようと思いこの転換を図りました。
最後に伝えたいこと
この2年間のプロ生活が終わった後は、私は新しい仕事を始める予定です。スカッシュとも物流系でも全くない、以前から興味のある飲食業界での仕事です。
やりたい事をやるには殆どの場合多くのロスが生じることがありますが、誰もが一番頑張れる事は自分が好きな事なので、生意気ながら今の所後悔のない人生を生きてこれています。
私はこれまでスカッシュという一つの武器を使い多くの貴重な経験を得てきましたが、これを可能にしてくれたのは家族を始め、全て周りの方達の熱い応援のおかげです。
これからは一社会人として、もっと色んな形で応援してくれている方達にずっと恩返しをしていこうと思っています。
Ryosei Kobayashi